高屋城跡

所在地:羽曳野市古市5から7丁目  

 周囲の地形より約10メートル程高い丘陵を利用して築かれた平山城で、南北800メートル・東西450メートルの規模を測る日本屈指の中世 城郭(じょうかく)です。その構造は、丘陵全体を土塁(どるい)と堀で仕切り1郭・2郭・3郭として南北に配置しています。

 1郭は高屋築山古墳を利用しており、ふだんの生活は営まず合戦時などの非常用の場所であったようです。2郭は礎石建物(そせきたてもの)や倉庫、せん貼り建物、庭園状の遺構など身分の高い人々が生活をしていたと考えられ、中国産の陶磁器や茶器・碁石など当時としては高価なものが出土しています。一方、3郭では掘立柱建物や素掘り溝などで、遺物も在地産の土器が中心となり、2郭とは明かな差がみられ、武士の中でも身分の低い人たちが住んでいたものと考えられます。

 城郭は、畠山氏の居城として 応仁(おうにん)の乱後に築かれましたが、家督争いや三好氏との合戦で城主の交代が多く、最後は織田信長によって天正(てんしょう)3年(1575)に焼き討ちされ、廃城となりました。

空から見た高屋城(昭和23年ごろ)

空から見た高屋城(昭和23年ごろ)

櫓(やぐら)台跡

櫓(やぐら)台跡

礎石建物

礎石建物

お墓?トイレ?

お墓?トイレ?

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更新日:2018年11月01日