羽曳野市名誉市民

更新日:2024年01月19日

塩野 庄三郎 昭和43年6月17日 推挙

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昭和22年5月2日古市町議会議員に当選し、同時に議長の重責に就任されました。

以来、昭和26年4月再選に及んで、文字通り黎明期の地方自治行政の基礎固めに関与するとともに、議会運営によくその責を果たされました。

その後、昭和31年11月3日南大阪町長に就任されるに至り、地方自治行政の執行最高責任者として、職員の指導啓蒙はもとより町民の信頼によく応え、町の発展に大きく寄与し人口の増加、農産業の進行著しく、昭和33年地方自治法の一部改正に関する法律の施行と相俟って昭和34年1月15日、現在の羽曳野市としての市政を誕生せしめ、引き続き市長として地方自治行政の困難性に対処するにあたり、ともすれば病魔に伏さく身をふるいたたせ、強い情熱を以て一歩一歩克服し、市政を進展せしめ、新生羽曳野市のために活躍されました。

公職就任以来17年有余に亘り、絶えず気取りのない態度で市民及び職員に接し温厚篤実な人柄は市民及び職員の信頼厚く人物でありました。

和島 岩吉 平成2年6月7日 推挙

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昭和6年弁護士を開業され、常に公平・平等を基本に弱者の立場に立ち免罪事件などの人権擁護のため大いに尽力されました。

昭和42年には、大阪弁護士会会長、昭和48年には、日本弁護士連合会会長を歴任されるなど、羽曳野市が生んだ類まれなる著名人として、日本の法曹界に多大な功績をあげられました。

その功績等に対し、昭和52年には勲2等瑞宝章を受章されました。

昭和57年から一般財団法人大阪人権歴史資料館理事長、昭和59年から大阪府情報公開推進会議議長として府民のため大いに貢献されました。

羽曳野市においても、昭和34年から顧問弁護士、昭和56年から羽曳野市同和対策総合計画実施推進協議会会長として同和行政や人権問題に力を注がれました。
 

ダルビッシュ セファット ファリード 有 令和5年6月2日 推挙

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平成16年(2004年)よりプロ野球選手として活躍しながらも、子どもたちの心身の健やかな成長を願い、児童養護施設などを訪問し、子どもたちとの交流を図り、夢と希望を与えてこられました。

平成19年(2007年)からは日本水フォーラムと協力して、「ダルビッシュ有 水基金」を設立され、開発途上国への水の支援を行っておられます。

プロ野球入団4年目の平成20年(2008年)には北京オリンピックで日本代表として活躍され、平成21年(2009年)にはワールドベースボールクラシック(WBC)日本代表選手に選ばれ、投手陣の柱として活躍し、日本の優勝に大きく貢献されました。

平成22年(2010年)にはプロ野球選手の社会貢献活動を表彰する「ゴールデンスピリット賞」を受賞され、翌年の平成23年(2011年)には、東日本大震災の義援金として日本赤十字社を通じ多額の寄付をされるなど、国内や海外においても社会貢献活動を継続されています。

本市におきましても、平成20年(2008年)から現在においても公式戦で勝利投手となるたびに10万円の寄附を継続していただいており、同年6月にその寄附を原資として「ダルビッシュ有こども福祉基金」を創設しました。

これまで、中央図書館にダルビッシュ文庫を開設、児童養護施設退所児童進学に係る奨学金事業や市内小中学校へのスポーツ育成資金など、子どもの福祉増進のために活用させていただいており、平成21年(2009年)には本市より善行者表彰を授与しました。

また、令和4年(2022年)5月には羽曳野市特命大使(スポーツ・観光大使)に就任いただき、本市の魅力を発信していただいています。

平成24年(2012年)からはアメリカメジャーリーグに活躍の場を移し、日本人初の最多勝を獲得するなど歴史に名を残す羽曳野市出身の類まれな著名人として、野球界に多大な功績をあげられ、令和2年(2020年)には本市より特別表彰を授与しております。
令和5年(2023年)に再びワールドベースボールクラシック(WBC)日本代表選手に選ばれ、最年長選手としてその経験を活かし類まれなるリーダーシップでチームをまとめ、見事優勝に導くなど、その姿は市民だけでなく広く国民に夢と希望を与えたものであり、まさに羽曳野市民の誇りであります。
 

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