文化財資料展示 古市古墳群の後期前方後円墳

更新日:2024年01月19日

平成25年8月24日(土曜日)から平成25年9月30日(月曜日)までは、文化財資料展示「古市古墳群の後期前方後円墳」を開催しています。

 古市古墳群は、羽曳野市と藤井寺市にまたがる東西4キロメートル、南北4キロメートルの範囲の中に巨大古墳が密集する日本屈指の古墳群であります。これまで120基あまりの古墳が確認されていますが、現在は開発等により小さな古墳は取り壊され、44基の古墳が残存しています。その中でも、墳丘の大きさが100メートルを越える古墳は15基(200メートルを越える古墳は7基)存在します。

 このように、日本でも突出した規模を有する古墳が密集する古市古墳群は、同じく堺市の中心部に広がる日本一の規模を誇る仁徳天皇陵古墳をはじめとする巨大古墳が密集する百舌鳥古墳群とともに世界遺産を目指しています。

 古市古墳群の中で6世紀代に築造された古墳(後期古墳)は、群の西南部に集中して見られます。近年、この西南部で相次いで後期の前方後円墳が発見され、6世紀中頃まで前方後円墳が築造され続けていたことが判明しました。

 後期古墳は、鏡など副葬品が豊かな前期古墳や古墳の規模が巨大化する中期古墳に比べて、やや注目されにくい時代と言えます。確かに後期になると、墳丘規模が中期古墳と比較して格段に小さくなります。この時期では、墳丘規模が100メートルでもあれば巨大古墳と呼んでも差し支えないほどです。

 しかしながらこの時期は、大陸からの影響を大きく受け、石室形態の変化や豊かな装飾品が見られるなど、政治的にも社会的にも大きな変革を迎える時期と考えられています。古代史的には倭王武とされる雄略天皇に始まり、応神天皇の五世孫とされる継体天皇、巨大権力を誇った欽明天皇の時期と重なります。

 古市古墳群西南部には、雄略天皇(第21代)~欽明天皇(第29代)までのうち、清寧天皇(第22代)、仁賢天皇(第24代)、安閑天皇(第27代)に治定(ぢじょう)されている陵墓が存在しています。いずれも100メートルを越える大型古墳であり、この時期まで100メートルを越える古墳を密集して築造する地域は他にないことから、大きく注目されるところであります。

 今回の展示では、古市古墳群の後期前方後円墳にスポットを当てています。これまでの調査成果や出土遺物などから、その時代背景を思い描き楽しんでいただけたらと思います。

古市古墳群の後期前方後円墳

月曜日から日曜日まで、毎日午前9時から午後5時まで開館し、入館は無料で、祝日のみ休館となっております。

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