「ヤマトタケルノミコト」と「白鳥伝説」とは?
ヤマトタケルノミコトと白鳥伝説
ヤマトタケルノミコト(日本武尊)は、武勇でその名を知られる古代の英雄のひとりで、日本書紀に記されたその最期にまつわる伝説は「日本武尊・白鳥伝説」といわれています。
日本武尊は、大和朝廷全国統一のため、父である天皇の命令を受け東西に遠征し、数々の勝利を収めました。しかし、故郷である大和への帰途、能褒野(のぼの)(三重県亀山市)で病により没しました。日本武尊の魂は白鳥に姿を変え、故郷の大和に向かって飛び立ち、琴弾原(ことひきのはら)(奈良県御所市)に降り立ったあと、再び飛び立ち、そして、河内の旧市邑(ふるいちむら)(大阪府羽曳野市)に舞い降り、ついに、天へ向かって飛び去りました〔日本書紀より〕。
その3カ所にはそれぞれ日本武尊の墓が造られ、合わせて「白鳥三陵」といいます。

三重県亀山市

能褒野神社
亀山市は、三重県の中北部に位置し、北西部には、標高500メートルから900メートル前後の鈴鹿の山々が南北に走り、そこから東方面にかけては、傾斜面の丘陵地や台地が形成され、伊勢平野へと続いています。宿場町のなごりで今でも多くの旅館があります。また、亀山城の城跡や野村一里塚では季節ごとに趣を変えた荘厳さを見せてくれます。
奈良県御所市

弾原白鳥陵
御所市は、奈良県の大和平野の西南部に位置し、西部に金剛山・葛城山が峰を連ね、東南部の丘陵地から平地の広がる緑豊かな自然に囲まれた田園都市です。豊かな自然と悠久の歴史に彩られた文化遺産を今に伝える歴史ロマンが漂う緑豊かな生活文化都市でもあります。葛城山では「一目百万本」ツツジが有名です。
羽曳野市の白鳥陵

軽里3丁目にある大型前方後円墳墳丘長190メートル、後円部の直径106メートル、前方部の幅165メートルで、幅40から80メートルの濠を持ち、日本武尊伝承の三陵(白鳥三陵)のうちの1つとされています。
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更新日:2024年01月19日