野中寺

更新日:2024年01月19日

所在地:羽曳野市野々上5丁目  

 野中寺は、聖徳太子が建立した46寺院のひとつで、太子の命により蘇我馬子(そがのうまこ)が造ったと伝えられ、南河内郡太子町の叡福寺(えいふくじ)を「上の太子」、八尾市の大聖将軍寺(たいせいしょうぐんじ)を「下の太子」と呼ぶのに対し、野中寺は「中の太子」と呼ばれています。本寺は丹比郡野中郷を本拠としていた渡来系氏族の船氏の氏寺ではないかと言われています。

 丹比道(たじひみち)(後の竹内街道)沿いに南大門を構え、七堂伽藍(金堂・講堂・塔・食堂(じきどう)・鐘楼(しょうろう)・経蔵・僧房)を備えた大寺院でしたが、南北朝時代の戦火によって焼失しましたが、江戸時代に山城国の僧・覚英(かくえい)が律宗の戒律道場として再興し、丹南藩主の高木氏や狭山藩主の北条氏、大和郡山藩主柳沢氏の帰依をうけて、本堂・薬師寺・経堂・鐘楼・地蔵堂・僧房などが建立されました。また、大和郡山藩主柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が寄進した別邸を移築して客殿・仏間・食堂とし、方丈(寺院の長老の居所)や勧学院(僧侶講学の機関)として使用されました。境内には三重の塔や金堂跡など飛鳥時代の伽藍の一部が残されていて、国の史跡に指定されています。

現在の中門

現在の中門

現在の塔跡

現在の塔跡

中門の調査

中門の調査

塔跡の調査

塔跡の調査

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