前方後円墳

更新日:2024年01月19日

 平面が円形の後円部と、そこから延びる平面が方形の前方部からなる、日本列島独特の古墳の形。古墳を宮車にみたてた幕末の勤皇家(きんのうか)、蒲生君平(がもうくんぺい)がこの名を使いはじめました。

 遺体を埋葬する円丘に至る通路、あるいは儀式の場として造られた方形の張り出しが大きく発達し、前方後円のかたちが生まれたとする説もあります。大王や豪族などの最有力者の墓として、3世紀後半から6世紀後半頃までの300年余りわたって築造されました。

この記事に関するお問い合わせ先

羽曳野市教育委員会事務局
生涯学習部 文化財・世界遺産室
大阪府羽曳野市誉田4丁目1番1号
電話番号:072-958-1111(代表)
ファックス番号:072-947-3633

メールフォームによるお問い合わせ