前方後円墳
平面が円形の後円部と、そこから延びる平面が方形の前方部からなる、日本列島独特の古墳の形。古墳を宮車にみたてた幕末の勤皇家(きんのうか)、蒲生君平(がもうくんぺい)がこの名を使いはじめました。
遺体を埋葬する円丘に至る通路、あるいは儀式の場として造られた方形の張り出しが大きく発達し、前方後円のかたちが生まれたとする説もあります。大王や豪族などの最有力者の墓として、3世紀後半から6世紀後半頃までの300年余りわたって築造されました。
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更新日:2024年01月19日