茶山遺跡(室町・戦国時代)

更新日:2024年01月19日

所在地:羽曳野市誉田6・7丁目  

 従来、当遺跡は古墳時代から奈良時代に盛行し、以後は衰退してしまう遺跡と考えられていました。しかし昭和60年(1985)の府教委や昭和63年(1989)以降の本市教育委員会の発掘調査の結果、12から16世紀にかけての多様な遺構や遺物が確認され、中世にも引き続き生活域であることがわかりました。特に、14世紀から16世紀の園池状遺構・井戸・集石土坑群などが見つかり、出土する遺物が瓦器椀をはじめ実用性の高い土器のみではなく、風炉(ふうろ)や花入れ・輸入陶磁器など趣向的なものが含まれるため、一般集落とは異なる様相が注目されています。

 これらは、高屋城より先行する時期のもので、羽曳野市の中世史を考える上で欠かせない遺跡であり、文献史料に表れる誉田城と関わりのあるものと考えられています。

園池状遺構が見つかった調査

園池状遺構が見つかった調査

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