戦国時代のはびきの

更新日:2024年01月19日

 全国を二分する大合戦となった応仁(おうにん)の乱の一因である、畠山氏の家督争(かとくあらそい)により、市内でも古市や誉田などで多くの合戦が繰り広げられたことが文献史料に見られ、その中心となったのは南河内の拠点の高屋城でありました。

 一方、市内の発掘調査によって、当時の生活を知る貴重な遺跡としては古市遺跡・上堂(うえんどう)遺跡、茶山遺跡などがあります。なかでも古市遺跡は高屋城と接した位置にあり、街道を利用した商工業が発展し、城下町的な役割があったと考えられています。さらに茶山遺跡では、通常の集落遺跡では見られない園池状遺構や茶道具などが出土しており、文献に登場する誉田城ではないかと考えられています。

 この他に、河原城遺跡・郡戸東(こうずひがし)遺跡・恵我之荘(えがのしょう)遺跡などでもこの時代の生活跡が発見されています。

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