江戸時代のはびきの

更新日:2024年01月19日

 江戸時代の羽曳野は、幕府の領地である天領、各地の大名の領地、将軍直属の 家臣(かしん)で旗本(はたもと)の領地など、いくつにも細かく分けられ支配されていました。大坂や堺などの商業の町とは、竹内街道や川船の行き来する石川、大和川によって結び付けられ、交通の要地として重要な位置をしめていました。特に古市の町は代官所や宿屋、市場、商家、社寺が並ぶ、交通や商業の中心地として、行きかう旅人や商人でおおいに賑わっていました。大都市『大坂』の近郊に位置していることから、そこで消費される農作物の生産も盛んで、ため池や用水を整備して新田開発(しんでんかいはつ)が進められ、米や野菜が作られました。また特産の河内木綿の栽培にも力がいれられ、大坂を経て各地へ流通していました。

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