源氏三代墓

更新日:2024年01月19日

所在地:羽曳野市通法寺  

 11世紀の中頃、源満仲(みなもとのみつなか)の子頼信(よりのぶ)は河内国司に任ぜられて、河内国石川郡壺井に屋敷を構えました。その後、頼信の子である頼義(よりよし)と孫の義家(よしいえ)の三代が壺井本拠地としたことから「河内源氏の発祥(はっしょう)の地」と言われるようになりました。

 頼義と義家は、前九年の役や後三年の役で活躍し、特に義家は八幡太郎(はちまんたろう)と呼ばれて東国に地盤を広げ、武家の棟梁としての地位を確立しました。 鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖にもあたります。

 88歳でこの世を去った頼義は、遺言により河内源氏の菩提寺(ぼだいじ)である通法寺の観音堂の下に葬られたと伝えられています。現在、通法寺境内(けいだい)の西端に頼義の墓があり、石垣に囲まれた基壇(きだん)が残っています。江戸時代に書かれた『河内名所図会(かわちめいしょずえ)』には堂が描かれており、かつては墓堂(ぼどう)が建っていたことがわかります。また、頼信、義家は通法寺の南の山上に葬られたと伝えられ、円形の塚が残っています。

源頼義の墓

源頼義の墓

源義家の墓

源義家の墓

源頼信の墓

源頼信の墓

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