飛鳥千塚古墳群

更新日:2024年01月19日

所在地:羽曳野市駒ヶ谷・飛鳥  

 羽曳野市東部の寺山・鉢伏山(はちぶせやま)から派生する尾根や、それに連なる丘陵上の広い範囲にわたって分布している後期群集墳ですが、ぶどう畑の開墾(かいこん)などによって多くの古墳が壊され、今では130 基ほどしか残っていません。昭和46年(1971)の大阪府教育委員会の分布調査が行われ、7つのグループに分けられました。ほとんどの古墳は直径約10メートル、高さ5メートル程の円墳で、内部には横穴式石室(よこあなしきせきしつ)が造られ、石室内には木棺や家形石棺が納められていました。

 出土遺物には、刀剣(とうけん)や馬具などもあり、特徴的なものとしてミニチュア炊飯具や金銅製沓(こんどうせいくつ)などがみられます。他方A支群の中には、百済王族(くだらおおぞく)の昆支王(こんきおう)を祭神とする飛鳥戸神社が存在することなどから、6世紀から7世紀にかけて一帯は渡来系氏族の墓域であったと考えられています。

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