平安・鎌倉時代のはびきの

更新日:2024年01月19日

 平安時代になると律令に基づく公地公民制が解体し、各地に荘園が成立します。羽曳野市域でも観心寺(かんしんじ)領の古市荘や西琳寺領の高木荘、西大寺領の壺井荘などの名が記録に残っています。

 羽曳野は源頼信(よりのぶ)を祖とする河内源氏の武士団が活動の拠点とします。壺井には頼信が館を構えてから、頼義(よりよし)による通法寺(つうほうじ)や壷井八幡宮の創建などがあり、現在でも遺跡として残っています。

 古市荘が設けられた古市周辺は、平安・鎌倉時代には東西道である竹内街道と南北に通じる東高野街道が交差する交通の要所として栄え、早くから町場的空間が広がっていたと推測されています。13世紀後半には僧叡尊(えいそん)が奈良西大寺の末寺として西琳寺を復興し、高屋城(たかやじょう)のあたりに奥院を建てました。現在、西琳寺境内(けいだい)にある巨大な五輪塔はこの奥院に建てられていたものです。

この記事に関するお問い合わせ先

羽曳野市教育委員会事務局
生涯学習部 文化財・世界遺産室
大阪府羽曳野市誉田4丁目1番1号
電話番号:072-958-1111(代表)
ファックス番号:072-947-3633

メールフォームによるお問い合わせ