建造物 |
吉村家住宅 3棟 (江戸時代 ・個人蔵) 主屋:昭和12年8月25日 表門・土蔵:昭和40年5月29日 |
南河内地方にあって庄屋を勤めていた豪農の住宅で、広大な屋敷地に大和棟の主屋(17世紀)、表門(寛政10年(1798)改築)、土蔵(18世紀前半)が建つ。主屋は切妻の高塀造、茅、こけら、本瓦葺などで、内部は居室と土間からなる居室部と数寄屋風の書院造りの客室部からなる。長屋門は総茅葺の入母屋造。土蔵は切妻造の本瓦葺で、高札場が付属している。 |
絵画 |
紙本著色神功皇后縁起(しほんちょしょくじんぐうこうごうえんぎ) 2巻 (室町時代 ・誉田八幡宮) 明治43年4月20日 |
応神天皇の生母である神功皇后の事蹟を上下巻2巻の絵巻にしたもの。赤、青、緑を多用した濃彩と細かい描写が特徴で、伝統的な大和絵様式による画風で室町時代を代表する絵巻の一つ。永享5年(1433)、室町幕府6代将軍足利義教が奉納している。 |
絵画 |
絹本著色誉田宗廟縁起(けんぽんちょしょくこんだそうびょうえんぎ) 3巻 (室町時代 ・誉田八幡宮) 明治43年4月20日 |
応神天皇の山陵の造営、社殿の建立、八幡大菩薩の勧請、誉田八幡宮の霊験などを題材に、縁起を上・中・下3巻の絵巻にしたもの。永享5年(1433)、室町幕府6代将軍足利義教が奉納している。 |
彫刻 |
地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう) (地蔵堂安置) 1躯 (平安時代 ・野中寺) 大正4年8月10日 |
檜の一木造りで、蓮華座上に直立する。右手に錫杖をとり、左の掌に宝珠を載せる。穏やかな面相と均整のとれた体躯などに特徴がみられ、平安時代後期の作と推定される。地蔵堂本尊として祀られている。 |
彫刻 |
金銅弥勒菩薩半跏像(こんどうみろくぼさつはんかぞう) 1躯 (飛鳥時代 ・野中寺) 大正10年8月8日 |
右足を左膝上に置いて坐り、右手の指先を頬に当てて瞑想する半跏思惟の菩薩像。台座には「丙寅年(666)に栢寺の知識118人が天皇の病気の平癒を祈願して弥勒像を造像した」という意味の銘文62文字があり、製作年代、弥勒であることが明らかな像として、美術史上でも注目される。 |
彫刻 |
十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう) (観音堂安置) 1軀 (平安時代 ・長円寺) 昭和13年8月26日 |
平安初期の特徴が顕著に見られる、頂上仏面の形式の立像。平安時代初期の作と推定され、西琳寺から伝わったとする説もある。 |
彫刻 |
木造舞楽面(もくぞうぶがくめん) 11面 (鎌倉から室町時代 ・誉田八幡宮) 昭和33年2月8日 |
陵王、散手、貴徳など、舞楽に用いられる仮面。13世紀前半から後半の年号を記すものもある。製作技術が優れ、表現も巧みで、製作年代、作者が判明する作品として、舞楽の展開を知る上で貴重。興国4年(1343)の年号がある退走徳3面と明応7年(1498)の年号がある退走徳1面を附とする。 |
彫刻 |
木造僧形八幡神及諸神坐像(もくぞうそうぎょうはちまんしんおよびしょしんざぞう) 頼円、実円作 五軀 附 墨画日課千躰地蔵菩薩像(神功皇后像内納入)一巻(南北朝時代 ・壺井八幡宮) 平成31年3月18日 |
像底の銘文や納入品の記載によって正平八(1353)年から翌年にかけて、仏師とみられる頼円・実円親子によって造られた。彩色も良く残り、制作年や制作者が知られていることなど、南北朝時代における神像の基準作品として貴重な作品である。 |
工芸品 |
剣 (銘 真守) 1口 (鎌倉時代 ・誉田八幡宮) 明治45年2月8日 |
両鎬造りで先がわずかに張る。茎には「真守」の銘があるが、大原真守あるいは畠田真守の作と伝えられるが特定できない。拵は江戸初期のもので、大橋龍慶奉納の金象嵌銘がある。 |
工芸品 |
松皮菱螺鈿鏡鞍(まつかわびしらでんかがみくら) 1背 附 杏葉轡(ぎょうようくつわ) 1口 (鎌倉時代 ・誉田八幡宮) 明治29年3月20日 |
肉厚の前後輪に銅の覆輪をかけ、居木と前後輪の表面は黒漆地に松皮菱文様を螺鈿で表す。のちに前後輪の表面を金属の薄板で覆い、鏡鞍に仕立て儀式に供した。源頼朝の寄進と伝える。 |
工芸品 |
薙刀(なぎなた) (無名 大和物 鉄蛭巻薙刀拵) 1口 (鎌倉時代 ・誉田八幡宮) 明治37年2月2日 |
黒漆塗に鉄を蛭巻にした堅牢な造りで、身幅は広く先があまり張らない上品な姿。鎌倉時代の大和物の特色を備え、当麻系の刀工の作と見られる。拵えは樫の柄に鉄板を巻きつけ、漆をかけたもの。製作当初の姿を残す貴重な遺品の一つで、源頼朝の寄進と伝えられている。 |
工芸品 |
黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる) 壷袖付(つぼそでつき) 1領 (南北朝時代 ・壷井八幡宮) 昭和31年6月28日 |
厚みのある小札を黒く染めたなめし皮で威す。正面の胸板には牡丹獅子文の絵革で包み、要所に桐文を高彫りに据えた八双金具で補強する。南北朝末期作の胴丸の代表作。 |
工芸品 |
太刀 (銘 則国 茎に大橋入道式部卿法院竜慶献上誉田八幡宮の金象嵌銘がある) 1口 (鎌倉時代 ・誉田八幡宮) 昭和9年1月30日 |
鎬造りで、身幅が先から元に向かって自然に幅を増す鎌倉時代の太刀姿の典型。茎に京都粟田口派の刀工「則国」の銘。大橋龍慶献上の金象嵌銘がある。 |
書籍典籍 |
伏見天皇宸翰後撰和歌集第廿(ふしみてんのうしんかんごせんわかしゅうだいにじゅう) 1巻 (鎌倉時代 ・誉田八幡宮) 昭和17年6月26日 |
永仁2年(1294)に伏見天皇が29歳で書写したもので、底本は藤原定家による。料紙は紫の打曇の鳥の子紙で、折本であったものを巻子装としている。能書で知られる伏見天皇のなかの代表作品。 |
考古資料 |
袈裟襷文銅鐸(けさだすきもんどうたく) (大阪府羽曳野市西浦出土) 1口 (弥生時代 ・文化庁【羽曳野市】) 平成3年6月21日 |
昭和53年9月27日、西浦小学校の校舎改築現場で発見され、幅65センチメートル、深さ35センチメートルの穴に45度の角度で埋められていたことがわかった。鈕の形式による分類では突線鈕式で、鈕の外縁と鰭の外縁に双頭渦文の飾耳がつく。外面の文様は六区袈裟襷文で区画内の文様はない。鈕の中央の綾杉文帯に太い突線を入れ、鋸歯文帯の斜線は全て方向をそろえる。 |
更新日:2024年01月19日